こんにちは!ざっとです。
今日は7月1日。映画の日ということで映画を見てきました。
行ってきたのは、「ユナイテッド・シネマとしまえん」。
としまえんのすぐそばにある映画館です。
思いのほか、子供と一緒の親御さんが多くてびっくりしました。
そして、見てきた映画は「ワンダー 君は太陽」です。
なぜ見ようと思ったのか?
以下の記事が目に留まりました。
変形した顔、悩んだ男性 小学生に伝えた「大切な時間」と「支え」
記事を読んだときは、確かにじろじろ見られるのはしょうがない。生まれ持った見た目を自分自身で受けるしかないでしょと思いました。
この記事の中に「ワンダー 君は太陽」のことが書かれていて、ただいま上映中ということを知りました。
普段なら、気にも留めない記事なのですが、何か心に「引っかかる」ところがありました。
鑑賞前は
少し前の僕は痛風の影響で脚が思うように動かなくなっていました。
階段は常人のように昇り降りができなく、必ず手すりを掴まないと階段が使えない状況でした。
電車に乗れば、優先席前にいると、「どうぞ」と席を譲られることが多くなりました。
「あ、俺は通常の人と違うんだな」と感じるようになりました。
「好奇な目にさらされる生き方」が僕の中で見たいという欲求となり、この映画を見るきっかけとなりました。
あらすじ
ごく普通の10歳の少年オギーは、生まれつきの障がいにより、人とは違う顔をもっていた。幼い頃からずっと母イザベルと自宅学習をしてきた彼は、小学5年生になって初めて学校へ通うことに。はじめのうちは同級生たちからじろじろ眺められたり避けられたりするオギーだったが、オギーの行動によって同級生たちは少しずつ変わっていく。
参考:映画.com
出演者の名前はあえて書きません。
見終わってから、いろいろ調べてもらったほうが良いです。
先入観がないほうが、この映画は楽しめると思います。
鑑賞中
とにかく、涙が止まらないんです。
悲しい涙、悔しい涙、楽しい涙などいろいろな涙があります。
しかし、そのようにきっちり分けた涙ではなく、切なく温かい涙、気持ちが理解できるからわかる涙などあまり感じたことがない涙があふれてきます。
実は、あらすじに書いてあるのは、ほんの一部の話なんです。
人とは違う顔をもつ主人公を取り巻く家族や親友の心の中もしっかり描写されています。
その描写もしっかり描かれ、主人公に対する日陰の部分スポットライトを当て、まさに「自分の立場だったらどうする」という描き方をしています。
鑑賞後
素直な感想を言うと
「見た目が悪いのは、本人にとって罪でもないし、罰でもないんだよな」
自分の力でどうしようもないところを、いじめとして「そこ」を突いてくる。
いじめたくなる気持ちもわからないではない。
見た目が常人とは大きく違う。特に子供は素直なだけにそこを攻撃してくる。
恐らく当人たちは、いじめることはいけないとわかっているんです。
ただ、体内に異物が混入した時に排除しようとする人間の機能のように自然と排除しようとする。
すべて、みんなわかっているんです。
映画の中でも言ってましたが、
「オギー(主人公)は見た目を変えられない。」
そうなんです、当事者はどうしようもないんです。
だから、変えるのは見てる側の行動なんですということが描かれています。
思ったこと
映画の中でこんな言葉がありました。
「正しいこと、親切なこと、選ぶなら、親切なことを」
この言葉は強く僕の心に突き刺さりました。
この言葉はきっと一生忘れないでしょう。
そして、この映画も一生忘れないでしょう。
そのぐらい感動した映画でした。
それでは、「『ワンダー 君は太陽』を見たら涙を流しすぎて、目の周りが痛いんですけど」でした。